「原発ゼロ社会への道」 -原子力市民委員会のブログ-

自治体原子力行政の要職を担う政府からの出向者たち〔茅野恒秀〕

自治体原子力行政の要職を担う政府からの出向者たち〔茅野恒秀〕


 原子力市民委員会は2016年7月21日、愛媛県庁に「声明:愛媛県は伊方原発3号機再起動への同意を撤回し、安全対策の徹底的な再検証を行うべきである」※1を提出しました。その際に応対した県職員のうち、原子力安全対策推進監の要職を務める職員が、じつは原子力規制庁からの出向者であることがわかりました。規制庁の採用案内パンフレット※2には、この職員が愛媛県庁で「判断の大前提となる最も重要な安全性の確認」を担当し、「再稼働を巡る政府の対応について県議会や地元市町からの説明要求に応じ、原子力規制委員会ほか関係省庁との調整」を行ったと紹介されています。

 伊方原発3号機は8月12日に再稼働しましたが、中村時広・愛媛県知事がこれまで発してきたメッセージ※3には、県が「独自」に判断を行い、対策を実現したという主旨の言葉が頻繁に登場します。しかし、その検討過程は政府から真に独立したものだったと言えるのでしょうか。

 このような地方自治体の原子力行政に対する政府の関与は愛媛県に限りません。青森県でも1988年以来、30年近くにわたって「原子力技術官僚」と呼ぶべき面々が県庁に出向を続けています。私の知る限り、現在で12代目。出身省庁は当初は科学技術庁、2001年以降は経済産業省です。青森県は福島第一原発の事故後、2011年12月には県内の5つの原子力関連施設の安全対策を了解し、全国でもっとも早く再稼働・建設再開の条件を整えた県であることは周知のとおりです。

 青森県エネルギー総合対策局(前身はむつ小川原開発室)に出向した職員は総括主幹、副参事、総括副参事(課長代理)等の職を務め、2000年代に入ると資源エネルギー課長、さらにエネルギー総合対策局次長という幹部級のポストに就く例もありました。2007年から2016年3月までの10年弱は、4代にわたって局次長つまり局のナンバー2を務めたのです。県政をチェックする立場の県議会でも、これは当然のように受け入れられているようです。2009年7月の県議会・商工労働エネルギー委員会では、経産省から出向でやってきた新任の次長が紹介された際、青森県出身とわかり、議員から「じゃあ、津軽弁わかるね」と、何とも緊張感のない野次が発せられた様子が議事録に残っています。

 出向職員は県庁で2~3年を過ごした後、出身省庁に戻り、再び「原子力技術官僚」としての道を歩みます。現在(2016年10月時点)、原子力規制庁の安全規制管理官、内閣府の廃炉・汚染水対策現地事務所、地域原子力防災推進官等のポストに、青森県への出向経験者が就いています。

 出向人事は、青森県側の要請により始まったものとされていますが、職員はどのような仕事をするのでしょうか。少し古い記事ですが、2001年2月16日の『東奥日報』によれば、出向職員は技術担当として「知事や室長への科学的な助言、議会用の答弁書作成を担うなど技術アドバイザー的な」役割を果たし、県庁幹部も「出向者がいれば、国からの情報収集も円滑にできる」と証言します。こうした役目は現在も変わっておらず、政府と県とのパイプ役を務めているようです。たとえば、2016年5月に知事が経産大臣に原子力発電と核燃料サイクルの推進要請を行った際のプレスリリース※4の問い合わせ先を見ると、担当者として経産省からの出向職員が記されていました。出向職員のみが記され、県プロパーの職員名すら記されていない状況に、私はいささか驚きました。

 これでは自治体行政への介入どころか、政府の「自作自演」と勘ぐられても仕方ないのではないでしょうか。愛媛県民や青森県民の多くは、県の原子力行政の要職に政府からの出向者がいることすら知らされていないことも大きな問題です。

1988年以降、政府から青森県庁の原子力部門に出向した職員


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茅野 恒秀
茅野 恒秀

1978年生まれ。信州大学人文学部准教授。博士(政策科学)。専門は環境社会学、社会計画論、持続性学。法政大学大学院、財団法人日本自然保護協会勤務、岩手県立大学総合政策学部准教授を経て現職。著書に『環境政策と環境運動の社会学』(ハーベスト社、2014年)、『「むつ小川原開発・核燃料サイクル施設問題」研究資料集』(共編著、東信堂、2013年)など。原子力市民委員会核廃棄物部会メンバー。