【連載】第6回:「被害」とは何か―1

【連載】第6回:「被害」とは何か―1

【連載】『原発ゼロ社会への道 2017』論点紹介 第6回
第1章 東電福島原発事故の被害と根本問題
テーマ2: 被災者の「健康被害」を捉え直す

2-2. 「被害」とは何か―1
(pp.51-54)

 
 

放射能による健康影響に関する議論は、課題が多く残されていることは明らかだ。しかし、被災者の苦しみはそれだけではない。事故によって深刻な社会・心理的影響が生じていることに関する科学的・学術的報告はすでにいくつも発表されている。そこで、今回と次回の2回にわたって、放射能汚染による多様な被害の在り様を紹介し、「被害」とは何か、読者の皆さんと一緒に考えていきたい。

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まず紹介するのは、早稲田大学人間科学学術院の辻内琢也教授が行っている研究である。辻内教授は、NHK福島放送局と共同で実施した調査において、原発事故後の経験とPTSD(心的外傷後ストレス障害)の関係性を明らかにしようと試みた※1。同調査が対象としたのは、避難指示の指定を受けた福島県内の12自治体から仮設住宅への避難者(2013年2月時点)であり、2,425世帯に質問紙を配布したところ745件の回答が得られ、そのうち661件が分析の対象となった。同調査において、PTSDの診断および症状を評価するIES-R(改訂出来事インパクト尺度)によって、PTSDの発生リスクが数値化されたが、他の事故などと比べて、仮設住宅への避難者の発症リスクが非常に高いことが明らかになった。PTSD症状と関連が高い要因は、辻内教授らによれば、賠償の心配や経済的困難、相談者の欠如などであり、賠償責任が曖昧にされている現実も重い精神的負荷の原因であるという。

さらに、辻内教授が2015年に実施した調査によれば、PTSDに繋がるほどの強いストレスの要因として、
 1) 原発事故発生当初に感じた「死の恐怖」
 2) 「地元(ふるさと)を喪失」したつらさ、
 3) 避難者であることによる地域の人との関わりにおける「嫌な経験」
 4) 悩みなどを「相談できる人がいないこと」
 5) 「家族との関係」がうまくいっていないこと、
 6) 「不動産の心配」
 7) 「生活費の心配」
といった7要因が挙げられる※2。そして、原発事故そのものに加えて、その後の社会の被災者への冷たい対応が重なり、そこに様々な心理的・社会的・経済的要因が作用していると分析し、その現状を「社会的虐待(social abuse)」ともいうべき事態が生じていると表現する。
 
 

また、強制避難地域ではない福島県の他地域の住民も、近しい人と事故への対応や判断が分かれたり、放射線に対する不安を口に出せなかったりすることによるストレスに苦しんでいる。中京大学の成元哲教授らは、放射能汚染と精神的健康状態の関係性を明らかにしようと、2013年から2019年現在まで毎年「福島原発事故後の親子の生活と健康に関する調査」を実施している※3。同調査が対象としているのは、福島県中通り9市町村で2008年度に出生した子どもとその母親である。災害後のうつとPTSDの発症リスクが高い人を見分けるための12項目の質問票(Screening Questionnaire for Disaster Mental Health)が使用され、2013年1月から5月にかけて実施された調査では、6,191人のうち2,628人(2013年10月時点)から回答が得られた。

同調査によると、うつは、事故直後が52.0%、事故半年後が41.3%、事故2年後が28.5%と、徐々に減少してきてはいるが、それでも4分の1以上の回答者が、まだリスクが高いと判定された。成教授らは、同調査の結果に示される精神的健康状態と原発事故後の生活の変化との関連について分析を行っているが、それによると、配偶者、両親、近所や周囲の人との認識のずれの有無が、精神的健康の不良の度合いと関係していることが分かった。さらに、それ以上に、経済的負担感との関連性が強いことが明らかになった。

興味深い結果として、原発事故後の避難経験の有無と、精神的健康のリスクの間には有意な関連が見られなかったことが挙げられる。成教授らは、「現在中通りで生活する母親にとって、過去の避難経験よりも毎日の生活で生じる放射能対処をめぐる人間関係の亀裂や経済的負担感が、精神的健康の『不良』の継続に大きく関連していることを示唆している。」と説明する※4

なお、「福島子ども健康プロジェクト」の最新の調査や関連の文献に関しては、次のホームページから閲覧することができる。(https://fukushima-child-health.jimdo.com/
 
 

上述した2つの調査を概略的に紹介しただけでも、原発事故による社会・心理的影響が、十分に見て取れるのではないだろうか。原発事故と健康被害との関係について、多様な研究がその複雑さと深刻さを指摘する中で、「過剰な放射線不安こそが精神的健康を害するので、不安は禁物」といった考えは、被災者をさらに苦しい立場に追いやることになりかねない。今後、原発事故後の被災者の健康状態への社会・心理的影響を和らげるにはどうしたらよいか、本格的に取り組んでいく必要がある。
 
 
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※1.原子力市民委員会(2017)「原発ゼロ社会への道―脱原子力政策の実現のために」p. 52, 2017年12月25日(辻内琢也・他(2016)「福島県内仮設住宅居住者にみられる高い心的外傷後ストレス症状―原子力発電所事故がもたらした身体・心理・社会的影響」『心身医学』56(7)pp.723-736)
※2.前掲(2017)p.53(辻内琢也(2016)「原発事故がもたらした精神的被害:構造的暴力による社会的虐待」『科学』86(3)pp.246-251)
※3.前掲(2017)p.53(成元哲編(2015)『終わらない被災の時間―原発事故が福島県中通りの親子に与える影響』石風社)
※4.前掲(2017)p.54(成(2015)p.152)