【連載】第7回:「被害」とは何か―2

【連載】第7回:「被害」とは何か―2

【連載】『原発ゼロ社会への道 2017』論点紹介 第7回
第1章 東電福島原発事故の被害と根本問題
テーマ2: 被災者の「健康被害」を捉え直す

2-2. 「被害」とは何か―2
(pp.55-58)

 
 

今回は前回(連載第6回:「被害」とは何か―1)に引き続き、被災者の健康状態における社会・心理的影響に注目する。特に、被災者の苦しみの実情に迫り、福島原発事故における「被害」とは何か、読者の皆さんと一緒に考えていきたい。

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復興庁は、半年に一度、東日本大震災における震災関連死の死者数を集計し報告している。2017年3月31日に発表された調査結果によると、死者は1都9県に及び、総数は3,591人であった※1。2018年同日の発表によると、死者総数は1都9県3,676人であり、この1年で新たに85人が亡くなったことになる※2。各都県の割合を見ると、福島県における震災関連死は突出して多い。震災死者(直接死者)は2017年9月時点で15,894人とされ、福島県の割合は全体の9.8%であったが、震災関連死者においては59.8%を占めていた。これは、福島県内に避難者が多く、日々の避難生活の中で死に至ったケースが多いことが要因であると考えられる。

こうした死を「原発事故関連死」として報道してきた『福島民報』による報告を1つ紹介する。浪江町の小野田区長を務めていた陶俊明さんは、2013年7月に69歳で亡くなった。死亡診断書の死因は「不明」で、医師は「急性心臓停止」と告げたが、「避難による心労がなかったとは言えなくもない」との所見が書き添えられていた※3。陶さんは、国指定の伝統的工芸品である大堀相馬焼の大陶窯4代目で、陶緑商店の店主でもあった。同報告書からは、陶さんが、窯のある土地には長く帰れないかもしれない中で、それでも走り駒の絵付け技術を伝えたいと避難先でも仕事を続けようとしていたが、生きがいの喪失、転居に伴う人間関係の変化、区長としての苦労も重なっていたであろうことが読み取れる※4

また、原発事故が原因と見られる自殺も複数報告されている。2015年6月30日の共同通信の記事によると、震災や原発事故から4年以上経ってもなお関連の自殺者は後を絶たず、内閣府によると、福島県では69件、岩手県では33件、宮城県では40件発生していることを伝えている。しかしながら、何をもって「関連自殺」とするのか、判断は難しく、その判定が争われる場合もある。

先に紹介した『福島民報』をはじめ、様々な報告において、原発事故と自殺の関係性が裁判でもって認められた例が複数紹介されている。川俣町山木屋地区から福島市に避難し、2011年7月に、一時帰宅した際に自殺した渡辺はま子さん(享年58)の夫である幹夫さんは、朝日新聞記者の本田雅和の聞き取り調査に対して、生まれ育った故郷や生業の喪失、家族や知り合いと離れ離れになってしまったことの不安を立て続けに漏らすはまこさんの様子を語り、「妻の心をもっとわかってやるべきだった」と話している※5
 
 

原発事故が被災者にもたらしたものは、故郷の喪失や孤立だけではない。フリーライターの吉田千亜は、原発事故がもたらした夫婦間の亀裂を、著書の中に描いている※6。原発事故当時、夫と5歳と3歳の子どもと共にいわき市に住んでいた女性は、避難所で生活した後に、埼玉県にある兄の家に身を寄せて暮らし、夫からの経済的支援がない中、子どもを保育所に預け、夫の合流を待っていた。しかしある日、夫が河井さんのいないところで、「あいつが勝手に避難したんだ」と、身内に話していたことを知り、夫との考え方の違いにショックを受けた。夫妻は、最終的に2011年11月に離婚した。

また、原発事故後の避難と子どものいじめの関係性についても、考える必要がある。2017年4月11日、松野博一文部科学大臣(当時)は、原発事故によって福島県内外へ避難した子どもに対するいじめが、2016年度に129件確認されたことを発表した※7。放射能汚染や賠償金の受給に対する周囲の理解の無さが、避難者の避難先での生活を苦しめているのである。前回の記事で言及した辻内教授の調査によると、「避難者であることによる嫌な経験」が「よくある、少しある」、また「避難していていることを地域の人に話すこと」に「抵抗がある」もしくは「どちらかというと抵抗がある」と回答した福島県内の自主避難者と強制避難者は約半数を占めており、共に県外における避難者を大きく上回っていた※8
 
 

以上紹介してきたように、原発事故によって被災者が抱えることになった困難は、複雑かつ多様である。また、それらは放射能汚染と被災者の直接的な関係の中においてのみ存在しているのではなく、夫婦や地域といった、多層な対人関係や社会関係の中で生み出されてきたものでもある。被災者が抱える「被害」の現状を、統計などを用いて量的に示すことも重要だが、それと同時に、個別の事例について描き出す作業も、被災者の苦しみを理解し、「被害」とは何かを考える上では欠かすことができないのではないか。
 
 

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※1.原子力市民委員会(2017) p.55 「原発ゼロ社会への道―脱原子力政策の実現のために」p. 52, 2017年12月25日(復興庁ウェブサイト「震災関連死の死者数等について」平成29年6月30日公表)
※2.復興庁ウェブサイト「震災関連死の死者数等について」平成30年6月29日公表
※3.前掲(2017) p.55 (福島民報編集局(2015)『福島と原発3 原発事故関連死』 早稲田大学出版部)
※4.前掲(2017) p.55 (同上、pp.16-27)
※5.前掲(2017) pp.56-57 (本田雅和(2016)『原発に抗う―プロメテウスの罠で問うたこと』緑風出版、pp178-179;渡辺はま子さんの自死の経緯については、『原発ゼロ社会への道』(2014)p.32の記述も参照されたい。)
※6.前掲(2017) p.57 (吉田千亜(2016)『ルポ母子避難―消されゆく原発事故被害者』岩波書店(岩波新書)p.45)
※7.前掲(2017) p.58 (『朝日新聞』 2017年4月11日「原発避難の子へいじめ129件 『放射能』呼ばわりなど」)
※8.前掲(2017) p.58 (辻内琢也(2017)「原発災害が被災住民にもたらした精神的影響」『学術の動向』22(4)pp.8-13)