【連載】第9回:錯綜する「責任」の所在を問う―2

【連載】第9回:錯綜する「責任」の所在を問う―2

【連載】『原発ゼロ社会への道 2017』論点紹介 第9回
第1章 東電福島原発事故の被害と根本問題
テーマ3: 原発事故の責任の所在を問う

3-2. 錯綜する「責任」の所在を問う―2
(pp.60-61)

 
 

今回は、前回に引き続き、原発事故における錯綜する「責任」の問題について、その概要を紹介する。前回は「原発事故を発生させた責任」について述べてきた。今回は、「事故の被害を拡大させた責任」について、考えていきたい。

事故の被害を拡大させた責任」の最たるものとして、避けられたはずの住民の被ばくを避けさせなかったことが挙げられる。そこで、原子力防災の法整備と福島原発事故後の実際を追いながら、避難に関する責任の所在について考えていく。

結論から言えば、1)想定されていた事故対応によって、「無用な被ばく」の大部分は回避可能であったが、2)事故前に決められていた事故対応のルールや手順を守らず3)緊急時を過ぎてからも、被ばく防護の観点から国として必要な立法措置を取らず4)そのような場当たり的な対応に「専門家」がお墨付きを与えたという問題と責任がある。

まず、避難は防災の問題であるという認識を共有したい。防災とは、災害を未然に防ぐ取り組みのことを指し、避難とは、その防災の具体例の一つとして捉えることができる。日本の原子力防災に関する法整備を振り返ってみると、それは1990年のJCO臨界事故を機に本格化した。具体的には、同年12月に、一般法としての災害対策基本法から原子力災害を独立して考えるために、原子力災害対策特別措置法(原災法)が制定された。

原災法が災害対策基本法と異なる点は、災害発生に先立って、予防的な対策を促している点にある。特に「住民の放射線被ばく」は、原災法の下で当初から問題とされており、対策においては、「原子力災害からの住民保護」を重要視してきた※1。たとえば、住民の屋内退避および避難の判断は、「緊急時環境放射線モニタリング指針」に基づくモニタリングの結果と専門家の助言に基づいて、オフサイトセンターに設置される「原子力災害現地対策本部」にて、協議・決定されることになっていた※2

東日本大震災と福島原発事故において、これらの避難をめぐる防災対策は、どの程度機能したのか。現場では、実際に、放射線量の実測も予測も実行されていた。実測は、福島県原子力センターによって実施され、震災翌日の3月12日午前8時半過ぎに、第1報が出されている。予測は、地震発生から2時間ほど後の3月11日午後4時半には、原子力安全技術センターがSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)を稼働させて、1時間ごとの拡散予測を事前に定められた機関に送信していた。つまり、機械による実測と予測はされていたのである。

しかし他方で、オフサイトセンターは地震による停電とディーゼル発電機の故障のために電源を喪失し、集合することになっていた職員もほとんど集まらず(具体的には、20機関から集合する予定であったが、当日22時の時点で、3機関から15人のみが集合した)、機能不全に陥っていた※3。その結果、オフサイトセンターから住民へ、屋内退避・避難の指示を出すことが事実上不可能となり、その機能を国の原子力災害対策本部が肩代わりすることになった。

また、先に述べた予測データは3月23日まで(一部公開、全容公開は5月)、実測データは6月3日まで、住民に公表されることはなかった。緊急時のモニタリングデータは隠蔽され、住民の屋内退避や避難に活用されることはなく、結果として、東日本の広範囲において住民の放射線防護がなされず、防げるはずの住民の被ばくを防ぐことができなかったのである。

住民をいかにして被ばくから守るか」という原子力防災の理念は、東日本大震災と福島原発事故を通して、有名無実であることが明らかになった。それは、原災法に規定されている国、地方公共団体、事業者の責務が果たされなかったからであり、また同時に、国は、避難・帰還の基準および居住者の被ばくの防護の具体的対策を、住民の参加や社会的な議論をふまえて合意形成し、法制度を整備することを怠ってきたからである。

前回のブログで示した、東京電力を主とする「原発事故を発生させた責任」と併せて、住民が危機にさらされ、守れるはずのものを守れなかった行政の責任について、再考する必要がある。

>>この連載の目次・他の記事はこちら


※1.原子力市民委員会(2017) p.60 「原発ゼロ社会への道―脱原子力政策の実現のために」, 2017年12月25日(たとえば、松野元(2007)『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』創英社 pp.77-87)
※2.同上(2017) p.60 (松野(2007)p.110)
※3.同上(2017) p.61 (NHK2011年6月11日放送「オフサイトセンター機能せず」)