東北電力女川原発を昨年11月4日に見学しました。印象に残ったのは、テロ対策という目的で、本人確認や原子炉建屋内の入門管理で空港の金属探知機のようなゲートをくぐらせることです。さらに進むには2重扉を通らなければなりません。登録した人物以外の侵入を許さないというゲートチェックをしているに違いありませんが、武器を持って暴力的に破壊する集団にはまったく対抗できない、ソフトなゲートシステムに見えます。
2014年8月に原子力規制委員会が、故意による航空機落下とテロ攻撃に関する審査ガイドを規定しました。各電力会社はそれに沿って、人の出入りの管理を厳重にして怪しい人の出入りを防ぐという趣旨のハードウエアを充実させる対策を設置許可申請書で触れていますが、実効性があるとは考えにくいものです。アメリカでは2001年9月11日の同時多発テロ以来、「テロ対策」が厳格になり、原発においても、いわば軍事基地並の警備が行われるようになりました。不審者を射殺することも許された警備員がフェンス沿いに一定間隔で立ち、フェンスの外に向かって銃を構えて警備しています(注)。しかもその実力をテストする模擬襲撃部隊をNRCの中に設けて、ときどき襲撃して訓練するといった実効性のある組織上の備えをしていますが、日本では何も行われていません。
テロ対策という言葉で、私がもっとも身近に連想するのは、2013年1月にエンジニアリング会社「日揮」が加わっていたアルジェリアのプラント建設現場で起きた武力攻撃事件です。日本人10人を含む多数の方が亡くなりました。相手は戦争のつもりでゲリラ攻撃を仕掛けてきます。こちらが備えを固くすればそれを凌駕する装備と作戦で襲ってきます。つまり、予め防備計画を文書上で審査することが不可能な、相対的な性格を持っています。方法にしろ、防護レベルにしろ、これだけであれば十分だという基準はないし、必ず勝つ戦闘というものはありません。また、仮に武装警備組織の配置を有効に行ったとして、襲撃者を制圧すればそれでよいというものではありません。原発を安全に冷温停止までコントロールすることが必要です。傍らで銃撃が行われている脇で、冷静に停止操作を行う運転員の姿などありえません。蜘蛛の子を散らすように逃げるのが自然です。
福島事故によって、原発がそれ自体として原爆相当の危険物を内包している脆弱なシステムであり、破壊的意図を持った集団にとってはもっとも有効な攻撃対象であることが周知となりました。かつ、その攻撃方法も多様に考えられます。シミュレーション小説として、若杉洌『原発ホワイトアウト』、東野圭吾『天空の蜂』などのベストセラーもあります。いずれにせよ、民生用の連続運転施設を頑強に作り、厳重に防護するなどということは経済面からしても非現実的です。
注:佐藤暁「核テロの脅威について考える」『科学』2013年5月号