※サムネイル画像の出典:東日本大震災・原子力災害アーカイブ拠点施設資料映像【本編】
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/archive-video.html
福島県の災害アーカイブ施設
2020年3月に入ってから、不通区間であった常磐線の夜ノ森駅、大野駅、双葉駅の3駅と周辺の避難指示が順次解除され、14日に常磐線が全線再開した。双葉町には福島県が「東日本大震災・原子力災害伝承館」(伝承館)の建設を進めており、2020年7月にオープンする予定である。現在知られている福島県内での震災・原発災害を伝承する施設(アーカイブ施設,メモリアル博物館)は下図のようなものがある。
図1.震災・原発事故の教訓を伝える施設(例)
出典:後藤忍「原発事故の教訓をどう伝えるか」※1
http://www.foejapan.org/energy/fukushima/pdf/200311_goto.pdf
このうち、先行する三春町の「コミュタン福島」は、福島県が開設した福島県環境創造センターの三春施設を構成する建物の一つである。震災と原発事故の発生当時の様子や経過、放射線の科学的知識、環境の回復、創造の歩みなどを学べるようになっている。原発事故の悲惨さよりは、環境回復や復興への歩みに重点を置いた展示で、最新の映像技術等を用いて子どもたちが楽しめる展示の工夫やメッセージの発信が行われている。福島第一原発事故に関するアーカイブ施設に求められるような、真摯な反省に基づく情報、例えば、原発事故前に福島県が原発を推進してきた経緯、放射性物質の汚染の実態や震災(原発事故)関連死の状況、SPEEDI情報の未活用など原発事故への対応における福島県の問題点や教訓、放射線被ばくによる健康影響や防護のために必要な安定ヨウ素剤に関する説明、被ばくの問題を人権問題として捉える上で必要となる「放射線管理区域」などの基準の説明、チェルノブイリ原発事故での被害やドイツでの脱原発を目指す動きといった外国の状況、などの情報については、きわめて希薄である※2。その特徴は、チェルノブイリ原発事故に関するウクライナ国立チェルノブイリ博物館の展示内容と比べても明らかに異なっている※3。
「東日本大震災・原子力災害伝承館」では何が「伝承」されるのか
双葉町に建設中の「東日本大震災・原子力災害伝承館」の名称は2019年9月に正式決定した。それまでの仮称は「東日本大震災・原子力災害アーカイブ拠点施設」※4であり、福島県はその開所に向けた広報のための資料映像(16分21秒)を2019年3月にインターネット上に公開した※5。
筆者は、アーカイブ拠点施設の資料映像の内容について、映像中に紹介される「アーカイブ拠点施設は、福島の教訓、挑戦を伝えていきます」の文言を踏まえて、「教訓」(災害の記憶・記録)と「挑戦」(復旧・復興のための取り組み)に分類した場合に、どのような時間量の割合で構成されているかを検証した結果をまとめた※6(図2)。
図2.アーカイブ資料映像の中の「教訓」と「挑戦」の割合
出典:後藤忍「原発事故の教訓をどう伝えるか」
http://www.foejapan.org/energy/fukushima/pdf/200311_goto.pdf
筆者の分析では、「教訓」が21%、「挑戦」が41%、「教訓と挑戦」が38%となり、「挑戦」は「教訓」の約2倍であった。つまり、アーカイブする内容は、「教訓」よりも「挑戦」に重点が置かれていることを明らかにし、「教訓」の継承における問題点を指摘した。
また、筆者はこの講演資料の中で、「過去から学ぶことができない者は、それを繰り返す運命にある」という哲学者ジョージ・サンタヤーナの言葉を引用した。過去の教訓と真摯に向き合うことは、福島県の再生や復興に取り組む上で「礎」(いしずえ)となるものであり、それなくして真の意味での再生や復興は望めないと筆者は考える。
一方、2020年4月には、「東日本大震災・原子力災害伝承館」の館長に、長崎大学の高村昇氏が就任したことが報道された※7。就任にあたっての高村氏のあいさつ文には、「反省」、「教訓」といった言葉は見当たらない※8。と同時に、「福島県の皆様が復興に向き合ってきた」と、福島県民が向き合ってきたのは「災害」ではなく「復興」と表現し、「伝承館は(中略)「福島イノベーション・コースト構想」の一翼を担っていきたい」と述べるなど、「復興」における位置づけを強調している。
このような高村氏の人事について、筆者はいくつか疑問がある。第一に、高村氏は博物館学やアーカイブ関連の専門家ではないことである。第二に、高村氏は、内容に大きな批判がある復興庁「放射線のホント」※9や文部科学省「放射線副読本」(2018年版)※10の協力者の一人であり、被ばくによる健康影響に関する楽観的見方の立場をとっている人物で、メモリアル博物館に求められる反省的考察を重視する姿勢に欠ける点である。第三に、福島県外在住の非常勤でありながら、任期は5年と比較的長く、他のメモリアル博物館と比べても異例な点である。既存のメモリアル博物館では、人と防災未来センターの河田惠昭センター長のように、地元の人物とは限らない専門家が館長に就任する例もあるが、広島平和記念資料館、長崎原爆資料館、水俣病資料館、東日本大震災津波伝承館などでは基本的に地元の人物が館長に就任している。
このように、不都合な真実から目を背け、真摯な反省的考察をおこなわず、教訓を礎とせずに描く復興は、地に足のついていない空虚なものになるのではないだろうか。
「教訓」と「挑戦」の意味するもの
図2右上の映像部分を拡大すると図3になる。この画像は、資料映像の中ほどに現れる。
図3.アーカイブ拠点施設の目的を示す画面
出典:東日本大震災・原子力災害アーカイブ拠点施設資料映像【本編】
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/archive-video.html
記されているキャプションにおける「教訓」と「挑戦」という言葉は、品質管理の「PDCAサイクル」に似た業界用語で、元は英語から来た言葉である。
どの会社でも同種の業務を繰り返して熟練の度合いを高めていく必要がある。ひとつの仕事を終えるたびに、学んだ「教訓」(Lessons learned)と次回「挑戦」(Challenge)すべき事項を当事者たるチームメンバーたちが確認し合い、それを書き記して品質保証ファイルに蓄積していく。当然、この反省と次回に着手する業務の目標設定は、その仕事を行ったメンバーたちが、自発的に「学んだ教訓」を記録し、次の業務に際して自らに課す目標を「挑戦課題」として掲げる。
「教訓」(Lessons learned)には、学ぶ主体の人格がなければ意味をなさない。当然学んだことを記述し、その記述の信頼性を保証するトレーサビリティ(Traceability)が備わっていなければ意味をなさない。つまり、仕事の方針を決定した責任者が、自ら欠点の内容を記述して署名しなければならない。この双葉町における「ふるさと喪失」の原因は、もちろん福島第一原発の過酷事故である。その事故を発生したことに責任を負う人びとが記述し署名した文書を提出して初めて「教訓」(Lessons learned)の記録が完成し、Traceabilityが備えられる。それができる人は、原発を建設し運転していた組織の経営者、すなわち東電の勝俣氏、武黒氏、武藤氏らであろう。この映像の中では地元の人びとが災害を語っているが、それが「教訓」(Lessons learned)と呼ばれるものではあり得ない。そして責任者は隠されている。
「挑戦」にも今後課題を実現する主体の人格がなければならない。この映像に登場する原発被災者の方がたは、原発災害によって避難した16万人のひとりとして苦労された方がたであり、最近避難先から地元へ帰って来てなんとかここで生きていこうと決心されたばかりと見受けられる。一方、地元再建の政策決定を行った主体は一人も現れない。つまり、「なぜこの政策か?」という質問をこの方たちに投げかけることはできない。さらに住民の意見を聞いて新しい政策決定がなされた形跡も見当たらない。「コミュタン福島」の展示映像では、西田敏行が美しいふるさとを宣伝している。そこでは映像制作者の宣伝意図が明らかである。3月に公開された映画『Fukushima 50』には、俳優の演技によってある種の宣伝意図が表現されている(筆者3/12付ブログ記事)。しかし、「伝承館」での映像は、被災当事者が「教訓」と「挑戦」を語り掛けているという意味で、その人格主体との関係を読み取ることができない。
そもそも、この映像は誰に向かって何を語り掛けようとしているのだろうか。地元の人々に対してであろうか? 他の地域からの訪問者であろうか? 「地元の人びとが原発災害から学んで『教訓』を得た」と製作者の行政当局(福島県庁。予算は政府の復興財源)が勝手に主張しているのであれば、それは僭越である。さらに地元の被災者が、状況に合わせて立ち上がる「挑戦」の目標を語っているとしても、それを行政当局が喧伝してよいものであろうか? 被害者に頑張ることを呼び掛ける「一億総懺悔」の構造になっているのではないか? 真の責任者は陰に隠れることによって、責任の明示と反省を逃れようとしているのではないか。
チェルノブイリの記念館とドイツの迫害記念館に見られる失敗の記憶と哀悼
チェルノブイリの原発事故を記念する博物館の内部は文字通り事故の悲劇を展示し、今そこで葬式を行っている教会内部のようなつくりになっている。2階の展示室には、天使ミカエルの画像の壁面もあり、300人はいるかと思われる被ばくした子供たちの写真がびっしり並んでいる※11。
ドイツの諸都市では、ユダヤ人迫害を記念して、その頃の蛮行を示す写真や新聞を壁一面に展示している。
チェルノブイリでもドイツでも、人々が自らの失敗や罪を忘れないように記念館を建てて、80年以上経った今も自らの罪を思って悔い改め、犠牲者に哀悼の意を表している。それに引き換え、日本では原発事故によって少なからぬ関連死の犠牲者がいるにもかかわらず、哀悼の場所もなく、失敗を反省して悔い改める手続きを省いて、バラ色の未来を期待することに集中している。事故は単なる天災のはずみに過ぎず、人間は行為を改める必要は一つもないかのようだ。
福島県内の震災関連死は2,304人に達した 。沈思し哀悼する場所を備えるのがアーカイブ施設の役割ではないか。「復興」「挑戦(Challenge)」といった活動は、目の前の事実を見てそれぞれの人が判断すればよいことだ。
〔Author:後藤 忍、筒井 哲郎〕