【連載】第10回:コラム―東電幹部の刑事責任は明らかに

【連載】第10回:コラム―東電幹部の刑事責任は明らかに

【連載】『原発ゼロ社会への道 2017』論点紹介 第10回
第1章 東電福島原発事故の被害と根本問題
テーマ3: 原発事故の責任の所在を問う

3-3.コラム―東電幹部の刑事責任は明らかに
(pp.66-67)

 

注:このブログ記事は、原子力市民委員会が2017年12月に発行した『原発ゼロ社会への道 2017』に掲載のコラムをもとにしているため、現状と一部異なる記述があります。

東電は推本の長期評価にもとづく津波評価を行い、2009年6月までに対策を完了する方針だった

2017年6月30日、東京電力の勝俣恒久元会長、武黒一郎、武藤栄の両元副社長の3被告人の刑事責任を問う、福島原発事故刑事裁判の第1回公判がようやく開かれた。検察官による冒頭申述と証拠の要旨が告知され、被告側は「事故の予見可能性がない」などとして無罪を主張した。しかし、示された証拠を見る限り、被告人らの主張は通らないだろう。

東電の津波対策を担当していた「土木調査グループ」は、2007年末に、政府(文部科学省)の地震調査研究推進本部(推本)の長期評価にもとづいて、津波評価を行い、2009年6月に予定されていた耐震バックチェックの最終報告までに、この津波に対応する工事を実施する方針を決めていた、というのが今回の裁判で検察官の職務をつとめる指定弁護士の見解だ。その根拠は、推本の長期評価は政府の公式評価であること、土木学会が実施した専門家へのアンケートでもこの長期評価を指示する意見が多かったこと、東電の東通原発の許可申請でもこの長期評価を取り入れていたこと、などである。この事実は、裁判での大きな争点となるだろう。

東電設計に対する依頼は、試算ではなく基準津波を決めるためのものであった

2008年1月11日、東電の土木調査グループは、担当部長だった吉田昌郎(事故当時の福島第一原発所長、故人)らの承認を得た上で、東電として東電設計に対し、長期評価の見解にもとづく日本海溝寄りプレート間自身津波の解析等を内容とする津波評価業務を委託した。これは、正規の委託契約であり、委託内容については、同年2月16日に、被告人ら3人も出席した「中越沖地震対応打合せ」の場で確認されていた。

2月4日に土木調査グループの酒井俊朗が東電の原子力設備管理部の長澤和幸らに送信した「1F、2F津波対策」と題するメールが残されており、「現在土木で計算実施中であるが、従前評価値を上回ることは明らか」「津波がNGとなると、プラントを停止さえないロジックが必要」などと記されている。まさに原発を止めなければならないほど重大な事態であることを技術陣は認識していたということである。この計算は、計算ではなく、東電が耐震バックチェックのために行う津波対策の内容を定めるための基礎資料であった。

10メートルを超えると対策工事の規模が大きく変わる

2008年3月18日には、東電設計と東電の打ち合わせが行われ、計算結果の成果物が納入されている。津波高さが15.7メートルになるという計算結果である。東電は3月31日に、原子力安全・保安院に対して、福島第一原発5号機に関する耐震バックチェック中間報告を提出し、同時に福島県とプレスにも発表した。この中間報告では、津波に対する安全性には触れられていなかったが、武藤被告(このとき東電の原子力・立地本部副本部長)は、福島県とマスコミに対して、2009年6月までに津波対策を完了させ、バックチェックを終了すると説明している。これが、この時点での東電の方針であったことがわかる。これを受けて、4月18日、東電設計は東電に対し南側側面から東側全面を囲うように、高さ10メートルの敷地の上に10メートルの防潮堤(鉛直席、海抜20メートル)を設置すべきこと、かつ、5号機および6号機の原子炉・タービン建屋を東側全面から北側側面を囲うように防潮堤(鉛直壁)を設置するべきとする検討悔過を報告した。次が、その防潮堤の計画図面である。

ここで、この鉛直壁が、建屋を全面的に覆うように南側、東側、北川に設置される計画になっていたことが決定的に重要である。これまでの検察の不起訴理由、そして被告人らの無罪主張の根拠として、東電設計の計算結果では津波が南側から敷地を襲うと予想されており、これを想定して南側だけに防潮堤を築く計画となったはずであり、そのような計画を実施したとしても、東日本大震災の際に東側から押し寄せた津波には効果がなかったはずだ、という立論があった。しかし、計画図面を示す通り、東電の技術者は、敷地の東側と北側にも建屋を防護する防潮堤を計画していたのであり、検察と被告人らの弁解は成り立たないことが明白になったのである。

武藤副社長に対する決裁説明とちゃぶ台返し

2008年6月10日の土木調査グループによる武藤副社長(当時)への決済説明と7月31日の同副社長による方針変更(津波対策先送り)の経過は、これまでの検察審査会の決定で認められたとおりである。武藤被告は「少し時間をかけて土木学会に検討してもらう」として、対策先送りを決めたのだった。

その間の7月21日には武藤、武黒両被告らが出席して「中越沖地震対応打合わせ」が行われ、耐震安全性強化に多額の費用がかかっていることが報告されている※1 。中越沖地震(2007)によって柏崎刈羽原発が運転停止し、耐震補強のために東電は多額の工事費を投じて工事しなければならず、それが経営を圧迫していたのだ。この点が、次に述べる武藤被告らによるちゃぶ台返しの伏線だといえる。

2008年7月31日、この武藤被告の指示により、推本の長期評価にもとづいて津波対策を講じるべきとする土木調査グループの意見は採用されないこととなった。これは、つまり、それまで土木調査グループが取り組んできた敷地高さ(10メートル)を越える津波が襲来することに備えた対策が進められなくなったことを意味した。まさに「ちゃぶ台返し」であった。この方向変更こそが、福島原発事故の決定的な原因なのである。

刑事裁判は証人調べで進む。福島原発事故刑事裁判支援団は、広く一般市民に支援をよびかけている。

 

>>この連載の目次・他の記事はこちら


※1.このとき、武黒被告は取締役副社長原子力・立地本部本部長、武藤被告は常務取締役原子力・立地本部副本部長。