【連載】第11回:被ばくを知る権利

【連載】第11回:被ばくを知る権利

【連載】『原発ゼロ社会への道 2017』論点紹介 第11回
第1章 東電福島原発事故の被害と根本問題
テーマ3: 原発事故の責任の所在を問う

3-4.被ばくを知る権利
(pp.64-65)

 

これまで「原発事故の責任の所在を問う」というテーマの下で、原発事故の発生や周辺住民をはじめとする人々の被ばくに対する責任について掘り下げてきた。前の記事においては、大気中に放出された放射線量がどの程度だったのかという情報の公開が遅かったことを指摘したが、続いて今回は、「被ばくを知ること」の意味とその困難さについて紹介したい。

政府は、福島原発事故による汚染の状況が明らかになった際、避難区域を拡大するのではなく年間20ミリシーベルトを許容し、正当化するという対応を取った。避けることができたはずの被ばくを避けさせなかったということ自体問題である。しかし、それゆえに、被ばくが過小評価されたこと自体が争点とならないように様々な対応が取られることになったことで、さらなる問題が引き起こされた。その点について、詳しく見ていきたい。

1つは、「専門家」による安全宣言である。福島県は、原発事故から間もない2011年3月19日に長崎大学の教授を2人福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして招聘し、その翌日から県内各地で講演会を開催した。そのうちの1人の山下俊一教授は、「100マイクロシーベルト/hを越さなければ、まったく健康に影響を及ぼしません」と述べたが、これは後に、福島県庁のウェブサイトにおいて、「『10マイクロシーベルト/hを越さなければ』の誤りであり、訂正し、お詫びを申し上げます。」とされた。どちらにせよ、積算すれば高い被ばく線量を許容する発言であった※1。さらに同大学の高村昇教授は、「チェルノブイリと違い健康リスクは全くない」という旨の発言をしている。この一連の講演会のダイジェストは、「ふくしま市政だより東北地方太平洋沖地震特集号」に掲載され、同年4月初旬までに全戸配布された。

もう1つは、実際の汚染状況を過小評価する動きである。例えば、原発から放出される放射性核種は多くある中で、セシウム134やセシウム137の数値だけを公表したり、地上1メートルにおけるガンマ線の空間線量率によってのみ被ばく線量を推定したことが挙げられる。さらには、累積線量や土壌汚染を考慮せずに、当該時期の空間線量率のみを考慮して、避難指示区域の指定や解除を決定している。

「専門家」による安全宣言、汚染状況の過小評価が行われる中で、放射線の健康影響は否定され、実際に出てくる被害は「放射線の影響とは考えにくい」という話になり、被ばくはタブー化されていく。それだけではなく、「福島の事故の放射能からの健康リスクは無視できるけれども、何か起こるかもしれないという過度の不安は放射線そのものよりもずっと健康に悪い」※2という語りや、「避難するリスクの方が大きい」という語りが現れ、被ばくリスクの相対化が行われる。そして、放射線を「正しく恐れる」という言説も少数ある一方で、多数は、「正しく」判断すれば不安になるはずはなく、不安を抱くのは「正しく」判断されていないからであるという意図を含むものとなっていく。

こうした被ばくのタブー化の中で重大な問題となっていくのが、本来行われるべき調査を行わず、議論の前提となる実態把握を欠くという事態である。これについて大綱2014では、「調べない・知らせない・助けない」と定式化したが※3、こうした事態は依然として継続している状況にある。後年になって事故の影響を評価しようにも、データを残さなければ、評価は不可能になってしまう。また、原発事故による被害を争点化せず、話題になることを回避し、さらには原発事故自体から意識を遠ざけ、事故被害そのものを無かったことしてしまう恐れがある。また、そういった流れは、被ばくの健康影響を心配する人々に、不安を持つことは良くないことだと、心理的圧力をかけることに繋がる恐れもある。「風評」「デマ」「非科学的」といった言葉と共に、全ての被ばくリスクについて語ることがタブー化し、真のリスクを語ることまでもできなくなり、実在する被害までなかったことにされてしまう可能性ある。

日本学術会議は1958年4月に、第26回の総会において、「放射能は人間の遺伝に対してはどんな照射量が少なくてもそれに応じただけ影響がある」とし、「許容量は『その線まで許せる』という観方をするべきではない。そのような科学的な線は存在しない」ことを確認した※4。これは、今あらためて想起されるべき認識である。政府の定めた基準以上は安全であり、被ばく線量を気にしすぎることや知ろうとすることは良くないという主張には、屈してはいけない。被ばくを知る権利は、誰にでも認められるべきなのではないだろうか。

 

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※1.原子力市民委員会(2017)p.64「原発ゼロ社会への道―脱原子力政策の実現のために」, 2017年12月25日(福島県広報課(2011)「福島県放射線健康リスク管理アドバイザーによる講演会 3月21日 福島テルサ 演題:1. 福島県原発事故の放射線健康リスクについて 2. 質疑応答」(平成23年3月22日更新;現在はリンク切れ)
※2.同上(2017)p.65 (ジェリー・トーマス(2014)「福島におけるリスクコミュニケーションの重要性」 Huffpostブログ、2014年10月8日 https://www.huffingtonpost.jp/geraldine-thomas/fukushima-risk-communication_b_5950940.html.)
※3.同上(2017)p.65 (『原発ゼロ社会への道―市民がつくる脱原子力政策大綱』(2014)p.34)
※4.同上(2017)p.65 (「日本学術会議第26回総会資料綴」(日本学術会議図書館所蔵)収載)